(千葉・外房)

菅沼建築設計

 

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Q:景観に馴染む外観というのはあるのでしょうか。昔風の家かなと思ったのですが、友人が建売やハウスメーカーの家が並ぶ中に民家風の家を建てて浮きまくっています。どう考えればいいのでしょうか?

菅沼:それは「個人の自由」と「空気を読む」のせめぎ合いの中で、どこに自分の居場所を   決定するか、ということです。

   

質問の内容を

 

・景観に馴染む外観はあるのか?

・あるとすれば、外観を景観に馴染ませるべきなのか?

 

という2点に分けて考察します。

 

馴染んでいるかどうか、これは個人の感覚の話ですから、最初から曖昧な内容を表現しています。

私個人の感覚では、好みの問題としての「景観に馴染む建物」はあります。

「馴染んでいない建物」とは、私が嫌いな建物という意味の婉曲表現とも言えます。

馴染んでいるかどうか、その基準にあたかも普遍性があるかのごとく語った瞬間、聞く人に押し付けがましさを感じさせることになります。その押し付けがましさを意図的に使う人も中にはいるでしょう。

 

建物の外観は個人の好き嫌いの問題であり、またそうあるべきだと思います。

しかし、設計者は仕事としてこれを決めなくてはなりません。それは設計者の個性を決定します。

 

私が「景観に馴染んでいる」と感じるための要素は、建物の形態と素材です。

周囲と全く違った形態であったり、全く違った素材で作られていたりすれば、当然目立ちます。

次はこの問題です。

 

大学の建築学科では、「建築は個人の財産というだけでなく、景観を作り出す社会的な財産である」というようなことを学びます。人々の記憶に残っていく「心象風景」「原風景」がそのキーワードです。

私はこの授業をよく覚えているせいか、突出した建築を好まない傾向があります。しかしこれはただ単に私が日本人の「メダカ社会」的な傾向を普通に持っているからなのかもしれません。

 

それとは別に、形態や素材の好みもあります。

周りの家が自分の好みではなかった場合、周囲に同調することに対して心理的抵抗を感じます。仕事とはいえ、自分が嫌いなものを作ることは苦痛です。

 

市街化された都市部においては、建物の外部に使われる素材について法的に防火性能を求められることがほとんどです。

屋根にカヤなどの可燃性の材料を使うことは、余程の田舎へ行かない限り不可能です。

外壁に木製の板など可燃性の材料を使うことは可能な場合があります。

本物の板そっくりの窯業系サイディングも存在します。

防火性能を有した木製サッシも存在します。

素材は、法的な制約こそありますが、自由度は残されていると言えるでしょう。

 

形態についても、パーツの水密性や耐久性が向上していることから、自由度は残されています。

技術の向上が、外観をどうとでも出来るという状況を作り出しています。

 

材料の種類が少ない時代。

材料の性質上、形態がある程度決まってしまう時代。

これらの時代の建物は均質で、町並みとして美しいと感じられるようです。

現代においてこれを意図的に作り出すべきなのかどうか?

 

正直に言うと、私には分かりません。

しかし私は密かに何らかの動機付けを探し、設計の結論を出します。

 

「建売やハウスメーカーの家の中に昔風の家を建てて浮きまくっている」という状況を想像すると、さほど悪くはないようにも私には思えます。

ここで景観に馴染ませるために必要だったのは、周辺に建っている「建売やハウスメーカーの家」に似せることだったのでしょう。

「建売やハウスメーカーの家」の集落が田舎にあった場合は、その集落が周辺の景観に馴染んでいないとこの家の建て主が感じていたことも想像されます。

それを是としなかった建て主の個性は、社会的に否定されるほどのことではないと思います。

 

 

結論は、自分が気に入っている家に自信を持って住んでいていい、ということです。

 

(2014.11.21)